紗央梨と美紀のケーキ談義が一段落したころ、美紀の視線が窓の方で固定した。何やら見つけたようだった。 「あれ?」  美紀は、窓にへばりついて通りの方を見ていた。通りの反対側に一階建てのこじんまりした建物があった。通りと入り口の間には、手入れがほどよくされた芝生の敷地があり、その中央にカナダ国旗を掲げたポール。小さい建物だが、住居ではなくオフィス系であることは間違いない。 「どうしたん?」  と紗央梨が訊く。 「あれ、さっきの警察(ポリス)のクルマが入っていったよ」  と美紀は建物横にある細い駐車場を指さし... 続きを読む

「ヒロシマ」ときいてこの反応をしたのは、紗央梨がカナダに来てから、デーヴが初めてだった。 ——この人、『ミアータ』の事をよう知っとる。 意外な所から指摘されるとにわかに嬉しさを感じるもんだ。紗央梨のこころに、ほのかな心地よさが生まれてきた。 「きったかさん」 美紀が隙を与えず唐突に聞いてきた。「知り合い?」 「誰が?」 「きったかさんと“同じ出身”の人」 「今、修理中のクルマじゃって」 「おー、『チャリ吉』くん!」 ——だから、『ミアータ』じゃって。 紗央梨は、なかば呆れていたが、美紀の言葉を軽くスルーし... 続きを読む

紗央梨は、目の前のカウボーイハット美女が初対面でなぜ私に用事があるかもまったく見当もつかず呆気にとられていたころ、後ろのオフィスへのドアが開いた。ここのメカニックの男性が現れた。先ほどまで、紗央梨とコン詰めた会話を繰り返してた男性である。彼は、すぐさま、カウボーイハットの女性に気づき、 「Hey! Jane! (やぁ、ジェーン)」 と声をかけた。その女性も、若干トーンの高めでのんびりした口調で、 「Hi, Tony! How’re you doing? (ハーイ、トニー。元気?)」 彼女は返し... 続きを読む

「ほんまじゃ、英語しか聞こえん」  紗央梨は、美紀の肩をがしっとつかみ、驚きのまなこをみせた。 「でしょ!」  美紀は同志を見つけたかのように紗央梨の腕をつかみ返した。  正確に言えば、彼女たちが驚きの原因であり、紗央梨が感じた違和感は、『英語しか聞こえない』ではなく、『英語以外の言語がしゃべられていない』事である。彼女たちが四ヶ月も住んでいる街が、都市部であり、さらにそこがバンクーバーであったための反応といえよう。 「うん、中国語も韓国語もタガログ語もなんも聞こえん! すごい! しかも、全部ネィテイブ英... 続きを読む

 あらためて述べる必要がないが、ご覧の通り、美紀は酒が好きで結構『のんだくれ』である。紗央梨も酒は嫌いではなく飲める方だが、たしなむ程度。  だが、この旅の第一泊目のときで、美紀の酒飲みで痛い目に遭っている。第一泊目宿泊地は、ロッキー山脈内にある観光の町バンフ。彼女らが夕方バンフに到着するいやな、美紀は町でお酒をいっぱい買いこみをし、部屋の中へもちこんだのである。紗央梨も、彼女につられて飲んでいたのだが、運転の疲れもあってか、すぐに酔っぱらいになって自省が効かなくなったのである。いつの間にか買い込んだ沢山... 続きを読む

 |酒屋《リカーストア》により大量のお酒を購入した後、ジェーンの赤いピックアップトラックは紗央梨たちを載せて町を離れることになった。ジェーンは運転しながら、紗央梨たちに自分たちの家の状況、町のことなどを語ってくれた。  助手席の紗央梨は、聞き逃しがないように言葉一句一句食い入るように聞き入っていた。彼女の話し口調は非常に優しいトーンでゆっくりと、しかもなるべく簡単な単語を使うように、はっきりとしゃべってくれていた。  ジェーンの家は、この町から南東へ車で三十分ほど離れたところにあり、小さな農場を家族経営し... 続きを読む